ぬる、と腕が滑った。 パタリとシーツの上に落ちる。奴の背中に縋っていた、俺の腕が、だ。 ゼイゼイと、乱れた呼吸が耳のそばでうるさい。もっとも、俺だってめちゃくちゃ息が上がってるけど。ああ、すげえ汗……ふたりともだ。すっかり混ざり合っちゃって、どっちがどっちの汗だかわかりゃしない。汗じゃないもんも、結構流れ落ちたりしてて……またシーツの洗濯しなきゃなんないのか。面倒くさいなあ。 「う」 のしっ、と体重がかかり、俺は呻いた。 仰向けになった俺の上に乗ったまま、奴が脱力しやがったのだ。俺よりでかくて重いくせに、なに考えてんだこいつ……。 「……重……っ」 苦しくて身じろぐと「こら」と低い声がする。どうして乗られてる俺がコラとか言われなきゃいけないんだと、すぐそこにある顔を睨みつけた。ふだんはきっちり整った前髪が乱れ、額には汗が浮いている。 くそ。悔しいけど、男前だ。 鷹目兆。 頭がよくて口が悪くて性格が歪んでて仕事ができる。ついでにいえば、スーツに身を包んでいる時には想像もできないほど、ナニの時にはエロくなる。 「重いって……どけ……あっ……」 「こら。バカ。まだ動くな。……っ」 「あ、あ……な、なにまた硬くしてんだよ……っ」 「おまえが力むからだろうが」 「力んでない……ちょっと腹筋に……う、あ……っ、てめ、いい加減にしろっ!」 まだ俺の中に入ってる奴の分身が、やばい感じに硬度を上げてくる。冗談じゃない、立て続けに二回ヤってんだろうが。 「抜けよ……っ」 ぬめる背中をポカポカ叩くと、ようやく鷹目が身体を浮かし、そのままずるりとナニも抜いた。 「ふぁ……」 刹那、虚ろを感じる。 けれどそれはほんとうに一瞬のことで、俺のそこはすぐに慎ましい本来の形に戻っていく。いや、そうでなきゃ困るんだけどさ。 深く息をつき、鷹目が俺の隣にドサリと寝転がった。俺んちは布団なので、奴の脚は畳にはみ出てる。布団はひと組しかないし、今後も買うつもりはない。 ああ、疲れた……。煙草が吸いたいけど、取りに行くのが面倒くさい。腰が怠すぎる。そりゃそうだよな、あんな狭い場所にあんなもんを突っ込まれて、揺さぶられるんだから下半身はもうガクガクだ。 「……人体ってすげーな」 ぼそりと言うと、隣にいる男が「なにが」と聞いてきた。自分のスキンを外して後始末し、俺にも数枚のティッシュをよこす。 「なんつーか、いろんな無茶ができるのな……俺、自分のケツがこんなに融通きくとは思ってなかったわ」 下腹を拭いながら言うと「俺がうまく扱ってるからだ」などと返ってくる。ほんとにこいつって、いついかなる時も傲岸不遜だ。 「へえへえ、そうでしょうよ。あんたがさんざんあちこちで磨いてきたスーパーテクのおかげで、俺のケツは未知なる発展を遂げたんでしょうよ」 「なにごとにおいても、経験値がものをいうのは当然のことだろうが。……まあ、おまえの身体も……わりと……」 途中で言葉を切り、鷹目は半身を起こした。なにか考えながら、乱れた髪を軽く整えている。そういう姿を色っぽいなどと思ってしまうあたり、俺の頭もかなりいかれてるよな。 寝転がったまま台詞の続きを待っていたのだが、鷹目はそれきりなにも言わずに、眼鏡をかけて俺を見下ろした。汗に濡れた裸で、眼鏡だけかけてるって、なんか卑猥。 「俺の身体がどうしたって?」 「……いや」 「なんだよ。言えよ。気持ちわりーだろ」 「要するに、あれだ」 「あれじゃわかんねーよ」 どさり、と再び鷹目が俺の隣に横たわった。首を捻ってこっちを見ると、 「俺たちは相性がいいということだ」 そう言った。 ふざけ半分とかじゃなくて、めちゃくちゃ真顔だった。俺がどう返そうかと考えているうちに、鷹目の手が俺の額に伸びてきて、汗で貼りついた前髪を掻きわける。最近気がついたけど、こいつって俺のオデコがわりとお気に入りみたいだ。 「身体の相性はいい。それは間違いない。なんでだか知らんが、妙にフィットする」 「……フィット?」 「ぴったりくる」 「チンコとケツのサイズ的な話か?」 「バカか。そういう話じゃない。もっとこう……つまり……あるだろうが、たとえば…………要するに……わからないのか、バカ」 「いや、今のはおまえがバカだろ。ぜんぜんわかんねーよ、それじゃ」 俺が言い返すと、鷹目は少し困ったように眉根を寄せ、俺のオデコを指先でグリグリした。たぶんこいつもよくわかってないのだろう。 相性? フィット? それって、どういうことだ? こうして、おまえに触られてるのが気持ちいいだとか、おまえと裸で抱き合うと溶けてしまいそうだとか、キスしてるだけで酔っ払いそうになるだとか……そういうことと関係してんのかもしれないけど……まあ、そのへんは言わない。言えるわけがない。俺の口が言わなくても、目がトロンとして多少はなんか物語ってるかもしれないけど、それはしょうがないだろ。 だってこいつ、いいにおいなんだから。 いま感じているのは、ふわんと甘くて優しいにおいだ。セックスの最中の、やばいくらいに扇情的なにおいとはまた違う。 ふと考える。 もしにおいを言葉に変換できるなら……いまの鷹目の体臭はなんて語ってるんだろう。少なくとも、ふだんのインケンで意地悪な台詞じゃないよな。射精した後だからずいぶん穏やかな感じになってるし、奴だって気持ちよさそうだったから、俺への労いもあるはずだ。『お疲れさん』とか? いや、それじゃ仕事帰りだよな……。『よかったぞ』……うっわ、気色悪っ。そういうキャラじゃねーし。『大丈夫か?』も違う。そんなのは見りゃわかることだ。 って言うか、俺はなんて言われたいんだ? いわゆるピロートークで、こいつにどんな言葉を欲しているんだろう……? 「千里」 鷹目が身体ごと、俺のほうを向いた。 俺は奴の眼鏡を取った。なんとなく、まだ素顔を見ていたかったんだ。鷹目は「なんだ?」と言いはしたが逆らわず、俺の好きにさせている。眼鏡を枕元において、俺は身体をもっと寄せる。 においを嗅ぎたい。 俺をダメにしちまう、こいつのにおい。 肩口に顔を埋めるようにしてスーハースーハーしていると、鷹目が「くすぐったい」と身じろいだ。 「なんだよ、動くなよ」 「鼻息がかかる」 「生きてんだから、息くらいする」 「その勢いでにおいをかがれてると、自分が中毒性のある薬物になったような気がしてくるな……」 「まあ、そんなようなもんだよ、あんたは」 俺はごそごそと布団に潜り、鷹目の脇に入り込もうとしたが「おい、脇はやめろ」と逃げられてしまった。脇を嗅がれんのって、そんなにイヤなもんだろうか。俺的には、においが強くていい場所なんだけど。 「……ったく、変態め」 「どっちがだよ。足の指を噛んだりする奴に言われたくない。潔癖のくせに変態ってわけわかんねーよ」 「きちんと洗ってあれば問題ない。だいたい、皮膚の上の常在菌など、口の中に比べたらたいした数では……」 「やーめーろー! キスできなくなんだろ!」 俺が叫ぶと、鷹目は片方の眉だけをヒョイと上げて「できなくなるのか?」と聞く。 顔が近くに来る。 互いの目を合わせるのも難しいほどの至近距離で、今度は「したくないのか?」と聞かれた。もちろん、キスの話だ。 ちくしょ。こいつ、俺がキス好きなのわかってて、こんなこと言ってやがるんだ。さっき、なんとなく奴の眼鏡を取ったけど、それももしかしたら、キスをしやすくするための無意識の行動だったんだろうか。だとしたら、ちょっとやばくないか、俺。 「千里」 また呼ばれる。 うるせえよ、キスなんかしたくねーよ……そう言えればいいんだけど……意地を張るにはどうにも距離が近すぎる。こいつのにおいの中にいると、そういう虚勢も難しくなるんだ、俺の場合。 鼻の頭どうしが触れる。 鷹目の吐息がかかる。俺の唇に。正直、それだけでぞわりと来ちまう。俺はたぶん、こいつの体液に弱い。汗とか、唾液とか……だって、鷹目のにおいを如実に感じられるから。しかも、それを自分の体内に取り入れることまでできちゃうから──だとしたら、確かに変態は俺のほうなのかも。 「おい。なに考えてる」 「え。いや……べつに」 「べつにじゃないだろ。言いたいことがあるなら言え」 「もう忘れた。俺バカだから」 いつもバカバカ言われてるのを逆手に取る。すると鷹目は不服そうに「本当にな」と言いながら、俺の額に自分の額をゴツッと当ててきた。 「あでッ」 思わず声を上げるくらいには痛かった。なんかこう、いちゃこらしているゴッツンコじゃなくて、本気でガシッとぶつけてきやがった。鷹目の攻撃はそれだけでは終わらす、今度は唇がぶつかってきた。俺の唇に、まるで噛みつくように、だ。 「んっ、んー……」 体勢が変わる。 覆い被さってきた男にキスされながら、思ったのは、実はこいつもキスしたかったんじゃねーの、ということだった。だとしたら、俺ばかり変ってこともないんだろう。 粘膜を合わせ、舌を絡め、唾液を交換する。 人はどうしてキスするんだろう? 唇と唇。 ものを食う場所を、言葉を語る場所をくっつけあう行為。 セックスと違って、それで繁殖ができるわけじゃない。だから動物はキスなんかしない。この世で初めてキスした奴って……なにを考えてそんなことしたのだろう? なあ鷹目。 おまえはどう思う? おまえはなんで、俺とキスするんだ?
ちょっと聞いてみたいと思ったけど──どんどん深くなるキスに、結局それどころじゃなくなった。 |